雑談録

回顧雑談の記録です。コメントはお気軽にどうぞ。

私の統一教会メモリー 〜壁いっぱいにかかったパンパンの袋〜

統一教会関係の報道を見ていると、大学生の頃のさまざまな出会いの記憶が蘇り、そのうちのいくつかは統一教会ほか新興宗教マルチ商法の勧誘だったんだろうなと思う。

新宿駅を歩けばしょっちゅう「手相の勉強をしているんですけど見せてもらっていいですか?」と声をかけられていたので、私は勧誘マニュアルに当てはまるような風貌だったに違いない。もちろん時間がよっぽどない場合以外はしっかり勉強させてあげたんだけども、

「この線と線の間に十字がある人は霊に守られています」

という嘘を全員が言ってきた。

 

あまりに新宿駅にいる人は手相の勉強(をしているという設定に)しすぎでは?

と思っていた頃、アンケートに協力してください、というパターンに切り替わった。

甲州街道沿いには実際にモニター会社がアンケート協力を呼びかけて、雑居ビルの一室でアンケート調査をしていたので、うちの大学の学生は結構協力していた。クラスのほぼ全員が謝礼のお菓子を授業前に食べていたこともある。

アンケート会社の方はパートのおばちゃんぽい人が甲州街道で声かけしてくるので、あれ?なんか今日は地味な若者が新宿駅でやってんの?と思ったけれど、友達にあれは統一教会だよと教えられた。おばちゃんたちからしたら完全に営業妨害である。

 

統一教会と関わるとしたら、向こうから声をかけてくるパターンだけだとばかり思っていたけど、私からうっかり飛び込みかけたことがある。

 

雨の日の下北沢、初めて行くライブハウスへの道がわからず、通りかかった髪が長くて背の高い女の人に道を尋ねたことがあった。ライダースジャケットを着ていたので、ライブハウスに詳しそう、と勝手な思い込みで声をかけたように思う。

「同じ方向に行く予定だったから送って行ってあげる」と、親切にライブハウスへ連れて行ってくれた。道中、彼女はモデルをやっているという話、私がファッション関係の学校へ行っている話、今から観に行くミュージシャンの話などをした気がする。大学1年生の頃、捻くれ者の私は頑なに標準語を喋ろうとしてなくて、方言丸出しで喋っていると

「私、山口県出身なんだけど方言が似てる!語尾に『ちゃ』ってつけるんだよね。うる星やつらラムちゃんみたいって言われない? 高橋留美子山口県出身だから方言を話させてるんだよ」

と共通点を持ち出してきた。

ちなみに高橋留美子先生は新潟県出身である。真っ赤な嘘か、ただの思い込みか、今となってはわからない。

そんな話をしているうちにライブハウスに着き、なんだかもっとお喋りしたいね!と連絡先を交換したのだった。

 

それからどのくらい経ってか忘れたけど、彼女から

「今度友達の家でホームパーティーをするから来ない?」

と誘われた。は? なんで突然見ず知らずの人の家のパーティに私を? と思ったけど、まあ田舎者の私に友達を紹介してくれるという親切なのかもしれないし、なんかわかんないけど東京ってそういうもんなのかなと思ってとりあえず行くことにした。

しかし彼女はモデルである。場所は池袋の近くと言われ、池袋なんて当時HMVでやったコレクターズのレコ発イベントにしか行ったことない私にとって、一体どんな街でどんなパーティーなのか想像もつかない。高知の片田舎から出てきたただの大学生が、モデルのウエストゲートパークパーティにおじゃまするにはハードルが高すぎる。

しかし「断ったら負け」という謎の負けん気と、「モデル関係者が住む池袋付近の家」を見てみたいという好奇心に負け、大学が終わったあと、椎名町駅で彼女と待ち合わせて出向いたのだった。

 

連れて行かれた先は、古いマンション。

安野モヨコのジェリーインザメリーゴーラウンドなどを愛読していた私は、「このドアを開けるとめくるめくおしゃれワールドが広がっているんだ…」と胸を高鳴らせていたが、果たしてその扉の向こうは薄暗い蛍光灯が灯る、パンパンに荷物の入った袋がやたらと壁にかかっている部屋だった。

そしてモデルの彼女の友達という男女が数名わらわらと出てきて歓迎されたが、みんな、なんていうか、、、、すごく地味で似たような顔と格好をしていた。狭めのダイニングキッチンのほかは2間ほどの部屋だったが、ここ、男女混合のシェアハウスなんだーと説明された。

当時の私は見た目で人を判断する嫌な奴だったので、この人とモデルは一体何友達なのか、不思議に思ったけど、関係性は説明されず、むしろ道で出会って仲良くなった私についての説明ばかりされて質問攻めにあったので聞きそびれてしまった。

 

「お腹すいたでしょー、ご飯食べよ〜」

と言われてテーブルに用意されていた料理はどんなものだったか全然覚えていないけど、宴会=皿鉢料理育ちだったため、拍子抜けした記憶だけある。

そして席につくと私以外の全員が手を組み神様に祈りを捧げ出した。

え、キリスト教関係の友達なの? それならそうと言ってくれればいいのに、と思いながら一応周りに合わせて祈る真似事をしたけど、どう切り上げて帰ろうかということで頭いっぱい。

みんなただただいい人で、不謹慎なことも毒づくこともない、清らかで面白くもない話をずっと聞かされていたのだが、だんだん話の方向性が自分たちの信じている神様の話や「今度ある集会に行こう」という雲行きに。

神様とか別に興味ない。全然行きたくない。絶対行きたくない。でもあまりにも無垢な瞳で誘ってくる。どうやっても断れない空気。

今の私だったら興味本位で行くかもしれないけど、さすがにまだイタイケな年頃だったのでこんなに危険信号だらけの(ように感じる)誘いに乗ることはできなかった。

 

「なんか頭痛くて風邪ひいたかもしれん、帰るけん。集会の日の予定確認して、また連絡するけん」

と言って、壁中の袋にぶつかりながらその場を抜け出した。玄関の壁も袋でいっぱい。早く靴を履きたいのに袋だらけで身動き取りにくい。

全員が玄関までやってきて、袋の合間からもたもた靴を履く私を心配そうに見守ってくれていた。

頭痛は嘘じゃなかった。風邪ではなくピュアな瞳で勧誘してくる圧と困り果てたストレスで頭が痛くなったんだと思う。

 

その後、もちろん集会に行くわけもなく、モデルの彼女とも連絡を取らなくなってしまった。

あの若者たちが敬虔なキリスト教徒だった可能性もなきにしもあらず、だけど私は統一教会の信者だったと思っている。

壁にかかった大量の謎袋、謎の共同生活、手相の勉強をしている人と同じようなテイストの地味さ。

 

www.jcp.or.jp

 

長い時を経て、この記事を読んで確信に変わった。

道案内してくれたモデルの彼女も、椎名町のあのマンションにいた男女も、今どうしているんだろう。

今なら彼女たちの人生を聞いてみたい気もする。