雑談録

回顧雑談の記録です。コメントはお気軽にどうぞ。

私の統一教会メモリー 〜壁いっぱいにかかったパンパンの袋〜

統一教会関係の報道を見ていると、大学生の頃のさまざまな出会いの記憶が蘇り、そのうちのいくつかは統一教会ほか新興宗教マルチ商法の勧誘だったんだろうなと思う。

新宿駅を歩けばしょっちゅう「手相の勉強をしているんですけど見せてもらっていいですか?」と声をかけられていたので、私は勧誘マニュアルに当てはまるような風貌だったに違いない。もちろん時間がよっぽどない場合以外はしっかり勉強させてあげたんだけども、

「この線と線の間に十字がある人は霊に守られています」

という嘘を全員が言ってきた。

 

あまりに新宿駅にいる人は手相の勉強(をしているという設定に)しすぎでは?

と思っていた頃、アンケートに協力してください、というパターンに切り替わった。

甲州街道沿いには実際にモニター会社がアンケート協力を呼びかけて、雑居ビルの一室でアンケート調査をしていたので、うちの大学の学生は結構協力していた。クラスのほぼ全員が謝礼のお菓子を授業前に食べていたこともある。

アンケート会社の方はパートのおばちゃんぽい人が甲州街道で声かけしてくるので、あれ?なんか今日は地味な若者が新宿駅でやってんの?と思ったけれど、友達にあれは統一教会だよと教えられた。おばちゃんたちからしたら完全に営業妨害である。

 

統一教会と関わるとしたら、向こうから声をかけてくるパターンだけだとばかり思っていたけど、私からうっかり飛び込みかけたことがある。

 

雨の日の下北沢、初めて行くライブハウスへの道がわからず、通りかかった髪が長くて背の高い女の人に道を尋ねたことがあった。ライダースジャケットを着ていたので、ライブハウスに詳しそう、と勝手な思い込みで声をかけたように思う。

「同じ方向に行く予定だったから送って行ってあげる」と、親切にライブハウスへ連れて行ってくれた。道中、彼女はモデルをやっているという話、私がファッション関係の学校へ行っている話、今から観に行くミュージシャンの話などをした気がする。大学1年生の頃、捻くれ者の私は頑なに標準語を喋ろうとしてなくて、方言丸出しで喋っていると

「私、山口県出身なんだけど方言が似てる!語尾に『ちゃ』ってつけるんだよね。うる星やつらラムちゃんみたいって言われない? 高橋留美子山口県出身だから方言を話させてるんだよ」

と共通点を持ち出してきた。

ちなみに高橋留美子先生は新潟県出身である。真っ赤な嘘か、ただの思い込みか、今となってはわからない。

そんな話をしているうちにライブハウスに着き、なんだかもっとお喋りしたいね!と連絡先を交換したのだった。

 

それからどのくらい経ってか忘れたけど、彼女から

「今度友達の家でホームパーティーをするから来ない?」

と誘われた。は? なんで突然見ず知らずの人の家のパーティに私を? と思ったけど、まあ田舎者の私に友達を紹介してくれるという親切なのかもしれないし、なんかわかんないけど東京ってそういうもんなのかなと思ってとりあえず行くことにした。

しかし彼女はモデルである。場所は池袋の近くと言われ、池袋なんて当時HMVでやったコレクターズのレコ発イベントにしか行ったことない私にとって、一体どんな街でどんなパーティーなのか想像もつかない。高知の片田舎から出てきたただの大学生が、モデルのウエストゲートパークパーティにおじゃまするにはハードルが高すぎる。

しかし「断ったら負け」という謎の負けん気と、「モデル関係者が住む池袋付近の家」を見てみたいという好奇心に負け、大学が終わったあと、椎名町駅で彼女と待ち合わせて出向いたのだった。

 

連れて行かれた先は、古いマンション。

安野モヨコのジェリーインザメリーゴーラウンドなどを愛読していた私は、「このドアを開けるとめくるめくおしゃれワールドが広がっているんだ…」と胸を高鳴らせていたが、果たしてその扉の向こうは薄暗い蛍光灯が灯る、パンパンに荷物の入った袋がやたらと壁にかかっている部屋だった。

そしてモデルの彼女の友達という男女が数名わらわらと出てきて歓迎されたが、みんな、なんていうか、、、、すごく地味で似たような顔と格好をしていた。狭めのダイニングキッチンのほかは2間ほどの部屋だったが、ここ、男女混合のシェアハウスなんだーと説明された。

当時の私は見た目で人を判断する嫌な奴だったので、この人とモデルは一体何友達なのか、不思議に思ったけど、関係性は説明されず、むしろ道で出会って仲良くなった私についての説明ばかりされて質問攻めにあったので聞きそびれてしまった。

 

「お腹すいたでしょー、ご飯食べよ〜」

と言われてテーブルに用意されていた料理はどんなものだったか全然覚えていないけど、宴会=皿鉢料理育ちだったため、拍子抜けした記憶だけある。

そして席につくと私以外の全員が手を組み神様に祈りを捧げ出した。

え、キリスト教関係の友達なの? それならそうと言ってくれればいいのに、と思いながら一応周りに合わせて祈る真似事をしたけど、どう切り上げて帰ろうかということで頭いっぱい。

みんなただただいい人で、不謹慎なことも毒づくこともない、清らかで面白くもない話をずっと聞かされていたのだが、だんだん話の方向性が自分たちの信じている神様の話や「今度ある集会に行こう」という雲行きに。

神様とか別に興味ない。全然行きたくない。絶対行きたくない。でもあまりにも無垢な瞳で誘ってくる。どうやっても断れない空気。

今の私だったら興味本位で行くかもしれないけど、さすがにまだイタイケな年頃だったのでこんなに危険信号だらけの(ように感じる)誘いに乗ることはできなかった。

 

「なんか頭痛くて風邪ひいたかもしれん、帰るけん。集会の日の予定確認して、また連絡するけん」

と言って、壁中の袋にぶつかりながらその場を抜け出した。玄関の壁も袋でいっぱい。早く靴を履きたいのに袋だらけで身動き取りにくい。

全員が玄関までやってきて、袋の合間からもたもた靴を履く私を心配そうに見守ってくれていた。

頭痛は嘘じゃなかった。風邪ではなくピュアな瞳で勧誘してくる圧と困り果てたストレスで頭が痛くなったんだと思う。

 

その後、もちろん集会に行くわけもなく、モデルの彼女とも連絡を取らなくなってしまった。

あの若者たちが敬虔なキリスト教徒だった可能性もなきにしもあらず、だけど私は統一教会の信者だったと思っている。

壁にかかった大量の謎袋、謎の共同生活、手相の勉強をしている人と同じようなテイストの地味さ。

 

www.jcp.or.jp

 

長い時を経て、この記事を読んで確信に変わった。

道案内してくれたモデルの彼女も、椎名町のあのマンションにいた男女も、今どうしているんだろう。

今なら彼女たちの人生を聞いてみたい気もする。

もっと知りたい!古来より伝わるお葬式の謎習慣

9月から実家がある高知県土佐清水市に帰省している。

久しぶりに地元の友達に会ったり、移住者やUターンしてきた人、土佐清水で面白いことを始めた人に話を聞く機会があって、色々な発見や驚きがあるのだけれども、そういう田舎で暮らすのもいいじゃん!キラキラ!な話は置いておいて。

 

仕出し関係の仕事をしている友人が「明日めちゃくちゃ早く起きんといかん」と言うので理由を聞くと、宗呂という山間部の地区で葬式があるからと言う。宗呂の葬式はとにかく朝が早く、5時6時(もっと早くだったかも)には終わらせるから、それに合わせて仕出料理を運ぶのでとんでもなく早起きになるそうなのだ。

なんでそんなに早起きかというと、農家が多い地区なので昔は陽が昇る前に家のこと(この場合法事も含まれる)をすませておく習慣があって、その名残りなんだとか。

さらに「昔は重箱に生米を詰めて死んだ人んちに持っていって、家族がその生米でご飯を炊いてちらし寿司にして重箱に詰めて返す」という風習があったそう。「お父ちゃんが死んだに、忙しくて泣く暇もない!」と文句を言っていたとか。

 

客観的に聞くと「死人がでた!つまり、寿司が食える!」とはしゃいでいるようにすら感じるシステムだけど、私が知らないだけで意外と他所でもやってたことかも?と思い、調べてみたが、ネットの海をもってしてもそんな話は見かけなかった。

 

地元の昔を知っている身近な人こと母親に聞いてみたところ、やはり知らないという。

 

賑々しく地区みんなで死者を見送るため、とかそういう理由から始まったことなのかな?と推察したけど真相はわからない。

宗呂以外でもこういう習慣があるところって存在するのだろうか。

 

宗呂関係の写真も葬式関係の写真もないけど、ちょうどお彼岸に帰ったので母製のおはぎの写真を。小ぶりです。



 

2020年上半期振り返り

前の投稿から約9ヶ月が経ってるじゃないか!

 

今年の1月にインテリアの本を出したのですが、

前回、前々回の投稿はその取材日記を書いていこう。

そう思って書き始めたのに、始まってみるとそんな余裕はまったくなく、

あれよあれよという間に

入稿、校了、発売、次の本、9冊、無理、コロナ、校了、発売、

次の本、リモート、校了、発売、梅雨?、春どこ行った?、次の本、

あれ?夏?嘘でしょ?、重版、嬉しい、感染者爆増、出張延期、

みたいな感じで今に至るわけです。

 

そうです、前回のブログで取材してた本が発売&重版しました!

取材させてくれた皆さん、買ってくれた皆さん、ありがとうございます!

昭和インテリアスタイル

 

発売した後、世界中でめきめきと新型コロナウィルスが蔓延していき、

そんな中で、縁あって魚喃キリコ作品の既刊本新装版と未収録作品集を作ってました。

 

世代的にもどんぴしゃだし、高校・大学の頃からずっと大好きで

もちろん全作品持っていたので、作っている間はずっと

いろんな意味で「こんなことってあるのか・・・・」と思う日々。

私は魚喃キリコ作品のリアルなストーリーとか心情の切り取り方よりも、

絵にびっくりしてハマったので、生原画を見てめちゃくちゃ震えたのでした。

 

私の魚喃作品との出会いは1998年の冬、忘れもしない中3の冬、たぶん1月。

キューティーの増刊号として発売した「キューティーコミック」なる漫画雑誌でした。

 

当時キューティーで連載していた、安野モヨコ

「ジェリーインザメリーゴーラウンド」のような

おしゃれファッション漫画が盛りだくさんに違いない!と勇み足で

同級生の親が経営する地元の本屋へ買いに行って、中身を見て呆然。

 

安野モヨコのイラストが表紙を飾るおしゃれそうな漫画雑誌には、

おしゃれファッション漫画よりも、おしゃれな裸の女や性描写を含む

大人な恋愛漫画が盛りだくさんだったのです。

 

今ならそういう漫画に動じることはありませんが、

小さな漁村の頭固めな公務員家庭で育った思春期真っ只中の私にとっては一大事。

 

まず、店のおばちゃんがキューティーコミックの中身を把握しているとしたら

「西村さんとこのエリちゃん、嬉しそうに女の裸の漫画を買いよったで!ませちょうわ」

という噂を流されます。おばちゃんには悪いけど確実に流す。息するように流す。

すると音速で噂は広まり、私は変態中学生というレッテルが貼られ、内申点はマイナス、

受験の面接時「女の裸の漫画を読んでいたね?」と聞かれて恥をかいたうえに不合格、

親にも噂が届き(おばちゃんが直接親に伝える最悪のパターンもありうる)、

現物を見つけられ、ボッシュートされるだけじゃなく、ついでに他の漫画も捨てられる、、、、

 

一瞬にして最悪な近未来予想図が浮かび、この町で静かに楽しく暮らすためには

キューティーコミックを捨てるほかなかったのですが、

その中に掲載されていた魚喃キリコの「南瓜とマヨネーズ」の絵が

他の漫画とは一線を画す美しさで、こんな漫画があるのか!とショックを受け、

受験に失敗した変態中学生になるかもしれない可能性と引き換えに、

こっそり隠し持ち、何度も「南瓜とマヨネーズ」を眺めて

キューティーコミックvol.2の発売を心待ちにしたのでした。

大人すぎて結局買えず、変態中学生でもなんでもない

幼馴染の家で読ませてもらったけど…。

(vol.2に掲載されていた魚喃キリコ作品は「水槽」という

中学卒業したての小娘にはヌーベルバーグすぎる話だったけど、

絵がとにかくきれいで幼馴染の家へ行くたびに見せてもらった。ありがとう)

 

つい我が限界集落の村社会の恐ろしさに話が脱線したけど、

約20年の時を経て、相当なリスクを背負ってでも

手元に置いておきたかった漫画の復刊に携われたことは、

今でも現実味がないくらいの大きな出来事なのです。

 

冊数が多すぎるのでリンクは未収録作品集だけにしときます。

 

 

魚喃キリコ 未収録作品集 上

魚喃キリコ 未収録作品集 下

タイフーン・フール

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インテリア本の取材のことを書いていこうと思ってたけど、撮影のスケジュールがタイトでなかなか追いつかない。

アウトプットする前にどんどんインプットインプットでいろいろ渋滞しています。


東京の取材はひと段落ついて、愛知を経て福岡へ行ってきました。

「地球史上最大のスーパーハリケーン」と言われてる台風19号が来てるせいで取ってた飛行機が欠航、撮影時間を繰り上げてもらって新幹線で帰ることに。

オールでDJ後だったのに、そんなわがままを受け入れてくれたコモエスタ八重樫さん、カメラマンさんには感謝しかありません。


台風の被害についてや、買い占め、建物のメンテナンスなどなど、思うことは多々あるけど、ひとまず取材日記。


台風パニック(13日に東京で別の撮影を控えてるせいで余計にどうしようかと大騒ぎしてた)で大騒ぎしている中向かった福岡でしたが、2日とも天気は超良好。

福岡では、ビーハイヴデラックスのピロコさん、戦前に建てられた一軒家で暮らす友人のポリちゃん、敬愛するコモエスタ八重樫さんのサードハウスを撮影。

この間まではスパイシー率が高かったけど、アトミック、昭和、北欧、和モダンが入り混じって、面白いバランスになって来ました。

それにしてもこの本は猫飼い率が高く、今のところ3軒も白黒猫が登場します。昭和な部屋には猫が似合う。


八重樫さんのお家、話に夢中でオフショット撮り忘れたのが残念。千葉と福岡を行き来して作った憩いのリビングは、洗練された味わいがあって、クールだけど心地よく、憧れがますます募るばかりでした。

私含め全てのビル好きのバイブル「MODEAST」発売時のポップがさりげなく飾ってあって、お邪魔するや否や、めちゃくちゃテンションが上がったのでした。

カメラマンの久富さんとも久しぶりにご一緒できて嬉しかったです。すばらしい写真を撮ってくれる、信頼できる福岡のカメラマンさん。


あっという間に帰ることになって、少々心残りだけど、2年ぶりの福岡はすごく楽しかった。

お会いできた皆さん、ありがとうございました!

カプセルとともに

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インテリアの本を作り始めました。

心から素敵だと思い、一度訪れてみたいと思うお家にアタックしては快諾してもらい、正直もっとアポ取りは難航すると思っていたので、嬉しくって仕方ない。

そして今日から撮影が始まったわけです。

 

前回の記事で紹介した中銀カプセルタワービル。

見学用の部屋にあんまりにも感動したので、調子に乗って実際に暮らしてる人のお部屋を取材させてもらえませんか、と打診。

この狭い空間でどんな風に暮らしているのか、単純に興味もあったし、名建築とはいえあれこれ不便なこの建物でわざわざ暮らすなんて、計り知れない愛の深さを、その思いを聞きたくて。

 

果たしてそのご夫婦は、人生の舵取りをカプセルタワービルに思い切り振り切っていたのでした。

こういうスぺイシーな感じが好きで…、とかそういう話かと思いきや、建築としての素晴らしさに惚れ込み、何年越しで入手したカプセルを第一に考えたインテリアと暮らし方をされていたのです。かっこいい。

 

今の住宅って大体白い箱だから、大体の人は家具や雑貨で自分の好きなように部屋を味付けしていくと思いますが、カプセルこ夫妻の場合は部屋の個性を最優先して、それに合うように様々なものを取捨選択。

そりゃこれだけインパクトある箱ならそうしたくもなる気持ちを誰もが持つと思うけど、やっぱり人って暮らしやすさや快適さを求めてストイックになりきれないと思うんです。

しかも14年くらい住んでたら、最初はうまく部屋を作ってもキープすることはむずかしい。

 

住んでから愛は深まる一方で、関連書籍やグッズを集め、果ては雑誌で紹介してた建築お菓子のレシピ(その企画もすごい…)を見て、より精度の高いカプセルタワービルケーキを作っちゃう。写真はお二人が作ったカプセルビルケーキ。年賀状にしたそうです。かわいすぎ。

ちなみに真ん中の階段室はチョコのうまい棒、カプセルは牛乳とコーヒー牛乳の寒天をカットし、丸くくり抜いてチョコチップを埋めたもの。

奥さまがパーツを作って、ご主人が組み立てたんですって!

 

これからこんな感じで取材メモとこぼれ話を綴っていこうと思います。

中銀カプセルタワービル見学会

旅色というサイトで高度経済成長期に建てられたいいビルを4件紹介してます。


https://plus.tabiiro.jp/articles/view/35673


どれも今更私が取り上げるまでもない有名なビルばかりですが、散歩しやすい徒歩圏内で再開発が始まる前に見ておこう!というテーマだったのでこの4ビルに。

周辺には無名だけどすてきなビルがたくさんあるので、移動しながら色々見られて楽しいと思います。

 

ネットなどでまことしやかに囁かれている取り壊しの日程に誤解があったり知らぬ間に決まっていたりと、取材・校正の際に直接教えてもらえたのでそこはよかったかな。

あと、やり取りをきっかけに、いつか行きたいと思っていた中銀カプセルタワービルの見学会にも参加してきました。

中銀カプセルタワービルについては、旅色の記事などを読んでもらうとして、見学会の満足度がそれはそれは高かったのでブログに記録しとこうと思います。

 

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私が中銀カプセルタワービルを知ったきっかけはコモエスタ八重樫さんの『MOD EAST』というすばらしい本。この本に掲載されている物件のチョイスに加え伊藤慎一さんの写真があまりにも最高なので、持っていない人は何としてでも入手したほうがいいと思います。絶版だけど探せばあるはず。復刊すればいいのに!

当時新宿の大学に通っていた田舎から上京してきた小娘が、銀座8丁目なんてまず行かないエリアだったので、偶然見て「あれは何?」と思った、とかそういう出会いではなかった。本当はそういう出会い方をしたかった。行こうと思えば行ける距離に住んでいたのに、本の写真がかっこよくて満足してしまったのです。ばか!

実際に生で見て感動した、というのはいつだったか覚えていないけど、確か仕事で移動中、首都高を走っている時だったと思います。

 

ツアーは1時間くらいで見学料3000円。

カプセルをいくつか所有するガイドさんに案内されながら大体5〜6人くらいで回ります。

 

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1階共用部の集合ポスト。かわいい。

ちなみにこのビルは、ツインタワーにカプセルをらせん状に差し込んでいて、140部屋もあるそう。

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A棟側から見たB棟のエレベーター。

 

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B棟から見たA等のエレベーター。

できて間もなく一部改装されたそうですが、木製の壁は竣工当時からのもの。

 

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構造がよくわかる間取り図も見せてくれました。

取り付け位置によっては横長の部屋と縦長の部屋があるようです。

 

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東日本大震災ではそれほど影響がなかったそう。

揺れが一瞬の地震よりも、長時間揺さぶられる台風なんかの方が影響があるようです。なるほど。

 

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まずはA棟よりB棟のほうが少し背が低く、2棟をつなぐB棟の最上階のバルコニーへ。

カプセルの隙間から下が見えてこわい。

カプセルとタワーを繋いでるのはわずか4カ所。引っ掛けて、ボルトで止める形なので、密に連結しているとはいえ部屋自体は宙に浮いているのです。ひー。

 

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浮いてるのがわかる写真。わかる?わかって。

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目隠しのデザインも洒落てる。

 

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赤いとんがりは格子状だとわかりました。

数年前に給湯設備が壊れ、現在お湯が使えないそうです。

住人はみんな近所のジムでお風呂に入ってきたり、銭湯へ行ったり、中には水を溜めておいて非常用の湯沸かし器?を使ってお湯を沸かしてお風呂に入ったり…大変そう。そうまでしてもここに住みたいという情熱がないとできないこと。すごい!

ちなみに断熱材が入っていないので、夏は暑く冬はかなり寒いそうです。

そうまでしてもここに住みたい!愛が半端ない!

 

中に入って階段をぐるぐる下りながら公開されている部屋へ。

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各部屋のドアの上に丸いあしらい。

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廊下の照明も丸。長い蛍光灯は後付けらしい。

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ガスメーターの扉(だったかな?)の窓もいちいち丸くてかわいい。

以前は壁はピンクで扉がオレンジというキャッチーなカラーリングで、そのファンキーな配色を引き締めるかのように現在赤い床は黒だったそうです。

ちなみにB棟はブルー×グリーン。おしゃれ。

 

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いよいよ中へ。縦長タイプの部屋。

色々とアレンジされて住んでいる人が多いそうですが、この部屋は竣工当時のまま。ブルーのカーペットに丸い窓がスペイシー!

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第一印象は

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狭い!

見学時のメンバーは5人だったので余計にそう感じたかも。

でもしばらくここで過ごしていると、だんだん慣れてきたのか、不自由さを感じるほど狭い感じがなくなっていきました。

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とにかく引きがない。

海外ドラマや広告、雑誌など様々な媒体が撮影に使っているけど、スチールならともかくこの空間で一体どうやって映像作品を!? と不思議でなりません。

まあでも最近は機材もすごく小さくなってるらしいし工夫しがいがあるか。

私としては半分ロケハンのつもりだったので、色々撮り方を考えれてよかった。

 

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内装は船のキャビンを参考に作られているので、コンパクトだけど収納は多め。キッチンはなし!潔い。

ちなみにドアは内側に開きます。

 

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一部が収納デスクに。いい…。

 

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備え付けのオーディオやテレビ、電話はオプションで色々とカスタムできたそう。

壁の色も白、黒、青(だったかな?うろ覚え)から選べて、ほとんどが白いへやだったけど、黒川紀章の部屋は黒にしていたんだとか。

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それというのがわかるのも、当時のカタログがあるから。

いろんな人が持っているページを寄せ集めて復刻したそう。絶賛販売中です。

イラストもかわいい。

 

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ユニットバスも全体的に丸みをおびててレトロフューチャーな感じ!最高。

 

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中の様子。狭いけどトイレのタンクを横につけているのかその分圧迫感を軽減しています。

 

見ていくうちに浮かんでくる素朴な疑問なんかにも丁寧に答えてくれて、あっという間の1時間。

10月には建替えか保存か、結論が出るそうです。

ぜひ保存・カプセル取り替えの方向で! コストがかかるそうだけど、こんなすばらしい唯一無二の建物、もう二度と建てられないし。

雑誌と90年代の雑談3

 

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雑談者

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木内アキ

フリーランスのライター。ファッション、ライフスタイル、旅など幅広いジャンルで活躍中。デニムメーカーで働いていた過去もあり、デニムに精通。少数民族の手仕事を使ったもの作り「nomadicraft」も運営。

木内アキ (@akiakikiuchi) | Twitter

nomadicraft - ノマディックラフト

 

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高城尚子

西村の編集部時代の上司。出版社に勤務しながら独自に着物や染物文化も追っている。

 

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ポルカ社・西村

フリーランスの編集者&ライター。雑誌、MOOK、書籍、WEBで活動中。

編集部時代に木内さんにはお世話になりまくり。日常に溢れたカルチャーを通して時代の変遷をなぞるのが趣味なので、そういう話題の雑談を記録しています。

ポルカ社 (@po_polka) | Twitter 

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そういえば4年くらい前にCUTiEのアーカイブブックが出て、素晴らしい内容だったんですけど、あんまり周りでこの本の話してる人いないですね。

 

CUTiE CHRONICLE 1989-1999

CUTiE CHRONICLE 1989-1999

 

 

 

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時事ネタを導入に年別で追っていけるんですね、最高!

 

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これ見てるだけで流行はもちろんなんですけど、ファッションアイコンがわかりますね~。

 

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私が読んでた時期はCUTiE史のほんの後半の一時期だったんだとわかりました。

隔週で出してる濃密期だったからもっと長く読んでたて気がしてました。

 

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雑誌のminiが創刊したのが2000年らしい。

 

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2000年のminiとSpring、買いましたよ!

Springはこの頃かなりモードです。

 

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95-97年くらいまでは古着ブームで、ベルボとかブーツカットはいてた時期?

 

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ブーツカット人気長いですね~。

97-98年あたりでライン入りジャージです。

受験の模試の時お父さんのスキージャージみたいなの穿いて行ったの覚えてます!

 

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ちょうどその頃が渋カジとギャルと厚底のブーツカット&ベルボ混沌期だったような。

 

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あ、でも2000年代入ってもブーツカット結構みんな穿いてたかも。

一瞬スキニーブームで衰えたけど、2001年以降もギャルが本気のベルボトム買いに来てたって、渋谷のマジックっていう本気のベルボトムを売ってる古着屋で働いてた友達が言ってました。

むしろ私、96年以前のあれこれが知りたいです。

 

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96年に太いジーンズ履きはじめるんですよね、女子が。

振り返ってて思ったのが、1993年にドラマの「一つ屋根の下」が始まるんですけど、そこでバブルの風が終わった気がする。

吉田栄作江口洋介&キムタクに変わってきた感じ。

このときくらいから、ファッションもストリートがぐわっと前に出て、ドラマのヒロインもダブル浅野からが山口智子に変わってくなるんです。

 

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ダウンタウンの浜ちゃんがファッションリーダーだった頃ですか?

ザ・アメカジ。

 

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それは95年くらいかな。

94年はもっと文系っぽくて、武田真治とか永瀬正敏とか?

 

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武田真治そんな頃からいましたっけ??

 

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いしだ壱成武田真治が元祖フェミ男なんだよ~。

今や武田真治キン肉マンだけど……

あとは吉川ひなのともさかりえ市川実和子的な。

 

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うーん、彼女たちは97年頃大人気だった記憶。

いしだ壱成も中1くらいだった気がするな~ドラマの未成年とかの頃ですか?

 

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未成年が95年だよ。

 

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X JAPAN94年に解散しました?

 

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X98年にHIDEが死んじゃう。

その一年前にTOSHIが脱退。

 

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94年にX JAPAN聴いてた人が多かった記憶あるんですよね。

田舎だからかなー。

 

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セイエニシングとか、めちゃくちゃヒットしたからでは?

 

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あ、そうなんですね、94年は現役で活躍してたんですね…。

X JAPANの話いきなり思い出したけど、通ってないから全然よくわかんないなあ~。

 

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94年のミュージシャンといえば、ミスチルじゃない?

あと小室ファミリー登場。

 

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篠原涼子TRF

また服には影響ない?

 

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でも世の中の「クラブ感」には影響大きい気がするなー。

 

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雑誌見てても今よりミュージシャンばっかり。

ファッションアイコンがミュージシャンだったもんね。

今だとアイドルだけど。

 

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音楽番組多かったし、衛星放送でミュージックチャンネル始まったのも90年代半ばだったからミュージシャンに対する憧れも加速してた時期でしたしね。

 

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兄が就職して実家に帰ってきたんですけど、実家はチャンネル数が少ない大田舎だから、スカパーかなんかに入ってて。兄の家に遊びに行くとずっと外国人アーティストのミュージックビデオが流れてたの覚えてます。

 

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雑誌でも、邦楽洋楽問わずジャンルの音楽が雑多に紹介されてたよね。CDバブルだったし。

TVでは見ないけど、ファッション雑誌でしか見ないミュージシャンっていたよね。ショコラとか。

 

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双子の妹のヒーコもいましたよね。双子といえばフリップフラップとか。

フリップフラップは2人とも超同じでセット売りだったのに対して、ショコラとヒーコは別売りでしたね。

ショコラがショートカットでヒーコがロングヘアがトレードマークで、2組ともモデルデビューしたのち歌手デビュー。ショコラとヒーコは歌手活動も別。

 

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ヒーコ検索したらキナリノのショコラのインタビュー出てきたよ

90年代の思い出ちょっと語ってますね。

ブログもやってるみたい。

kinarino.jp

 

 

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現役で活躍してるんだ~なんか嬉しい。ヒーコは髪型以外ショコラとそっくりなんですよ!

 

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そりゃ双子だからね。笑

 

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PeeWeeにもよく出てたな~。いや、オリーブで見てたのかな?

PeeWeeはソニーマガジンズから出てたからか、カルチャーページも充実してて、そこも大好きだったんですよね。

 

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CHARAとか鈴木蘭々が連載してるしミュージシャンのインタビューもたくさんあるねー。

 

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読者ページも面白かったです。今思えばあれは編集部の人がアレンジしてたとしか思えない。

 

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白黒ページは結構編集者が私物化してて、でもその個人的すぎる感じが面白かったんだよね~。

 

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そういうの大事!

みんながなんとなく知ってることより、思い入れたっぷりの熱い局地的情報の方が「なにこれ」って引っかかって読みますもん。

 

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刺さらなかったら全スルーですけどね。笑

 

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奥川さんが持ってきてくれた雑誌の白黒ページすごいよ。

Music、Cinema、TV、Book、Gameまではわかるけど、Homepageっていうのが同じ並びである!

 

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“海外の化粧品が買える『LUNA』”“ブランド品が勢ぞろいの『ショッピングタワーブロー』”とかはわかるとして、“北海道のうまいものが勢ぞろい『北のおやじは味にうるさい!!』”はなぜ選ばれたんだろう。コネ?

 

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ほんとだ! 異色~単に北海道出身でネタ枠とか?

 

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このページ、編集者の個人フィルターが見え隠れしていいなあ~笑

Windows98くらいの時代ですよね? 紹介できるようなサイトそのものが少なかったのかな?

 

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“新刊の検索と購入ができる『図書館流通センター』”と“CD、ビデオが15%オフ『NINJA RECODS』”とかも。この頃のAmazonですね。